手首の手術から1年

 さっき唐突に思い出したのは、ちょうど1年前に腕の手術で入院した時のこと。今回は、端折ったところを中心に、今更ですが筆の向くままに書いてみようと思います。
 両親は手術の終了を見届けただけで帰り、最初の眠れない夜。痛くはないけど、その予兆だけで頓服を欲しがった不安な夜でした。今思えば、あのとき黙って差し出してくれれば小麦粉を薬包紙に包んだものでもよかったなと思う。だって結局痛くならなかったんだもの。
 さて、そんな入院生活の心の支えとなったのはiPod touchと(ドラマCDやラジオ録音を含め)入れておいた楽曲、どこでもWifi、そしてポケットラジオでした。
 入院病棟といえば、プリペイドカード式のテレビ。僕の入院した病院は新しかったため、かなり良好な設備でした。でも、残高の減少ペースがかなり早く、四六時中つけるには程遠いものでした。当然、暇な時間のほうが断然多くなるわけで、どこでもWifiiPod touchを駆使してのっそりとインターネットに繰り出したり、それすら億劫な時はラジオをぼーっと聞いていたりしました。眠れない夜にラジオを聞くと、今でも安心します。
 そういえば、退院当時の記事もあったので一応持ち上げときます。
手首、その5。手術・入院編 - サボテンの住む部屋より。
 はてさて、当時のつぶやきを簡単に見る方法がわからないのですが、たぶん当時はTwitter使ってなかったんだと思います。ID取ったまま放置してたっけかな。とにかく、Google ReaderとiComicがiPod touchの主な役割でした。
 手術日が火曜日の昼下がりだったかな。朝から断食(水も少量)という事で、色んな意味ですっからかんで臨みました。
 当然ながら、オペ室に通信機器はご法度。普段の衣類もナシで、パンツ一丁と手術着だけ。看護師はオペ室要員にバトンタッチし、ダブルチェックの厳重らしいセキュリティをくぐって入ったのは、オペ室群と呼ぶにふさわしい場所。ちょっと考えれば当然わかる事ですが、オペ室だけで10室以上ありました。しかも半分程度の部屋が使用中。ちょっと見えた部屋でも何かしていましたが、目が悪いので判別出来ませんでした。
 結構歩いて、割と遠いオペ室に。部屋の真中のベッドに寝かせられ、ドキドキしながらまな板の上の鯉となったのでした。
 整形外科の先生も慣れたもので、淡々と手早く作業をしていきます。まずは局所麻酔。たしか神経麻酔を使ったと思います。ぶっとい針を見てしまったのですが、怖がるほどのことはなく、普段より太い注射程度の感覚でした。歯医者さんで親知らず抜いてもらう時に使った麻酔と似ています。ちょっと予想より麻酔の効きが悪かったらしく、ぐーりぐり。すぐに麻酔は効き、左手を触られても分からない状態に。もちろん、返り血を浴びないためと、恐怖を抑えるためについたてがしてあり、腕は見えません。
 意外だったのは、内視鏡を入れる穴をあけるとき。メスで小さくバッテンを切ったと今から予測できますが、その感触はなんとなくわかりました。麻酔が効いているので痛くはないんですが、しびれの向こう側で、ああ、切られたっぽいなと直感しました。まぁ、気づいたら内視鏡入れちゃったあとってレベルだったので、ずいぶんと不正確で遅い情報でしたが。
 内視鏡なだけに、結構道を間違えたりもするようで。何度かいったりきたり。内視鏡の画面はブラウン管テレビっぽい感じでしたが、そんじょそこらで見るテレビとは段違いのブラウン管だったのでしょう。一応、僕からも見える位置にありました。僕にはどの骨がどれやらさっぱりでしたが、それとなく教えてもらったので、どれがどの骨かなんとなく眺めることはできました。とりあえず、月状骨の表面はガサガサで、フワフワとした物体がところ狭しと浮いてました。最初は判別不能なレベルだったのですが、どうやらこれは相当悪い状況だったらしい説明を受けました。先生は内視鏡の器具を切り替えてフワフワを回収してしまいました。
 そこからは簡単な説明と作業で、すぐに終わり縫合。細かい事前説明は半分忘れていたのですが、どうやらここからが本番でした。
 今度はしっかりと腕の方を切り、簡単に言えば骨をジャコジャコです。月状骨軟化症の治療法を探してもらえばわかると思いますが、撓骨を切って短くしてつなぎます。まさに切った張ったの世界みたいですが、まぁちゃんとつながったので治る方向だと思います。この術式が手作業の重労働だったのか、意外と複雑で長くかかりました。最後の方になってくると、強い筋肉痛みたいな疲労感が広がり、耐えながら手術の終了を待ち望みました。筋トレしたあとのような感覚でしたが、手術後2ヶ月間ギプスでぐるぐる巻きだったので、結果的に筋肉はごっそり落ちました。へなちょこ。